差別「される側」にならないと分からないことが多いよねという話
差別を助長する目的で書いているものではありません。
若いうちに差別を経験できるのは貴重なんじゃないかという話
僕はゲイで、現在24歳です。
ゲイを自認したのは18,19のときです。
今日は「ゲイの差別」について書いていきます。
ゲイを差別する(される)とはどういうことなのか
もっと、いろいろあるとけどこんな感じかな。
実際、僕が明確に差別されたことはないけど、日本社会での生きづらさは感じていて、それが差別と言えるのかなと思っています。
差別は貴重なんじゃないか
決して差別を助長したいわけではないです。
ただ、最近「若いうちに差別を受けるのは貴重なんじゃないか」と思っています。
ストレートの男女はセクシャリティにおいて差別を経験することはないと思います。
一方、セクシュアル・マイノリティは差別を経験することがある。
「人と違う経験をできる」という意味において結構貴重だと思います。
差別「される」側にならないとわからないことっていっぱいある。
僕が、差別「される」と感じなければ、社会や歴史的背景に興味を持つことはなかったと思います。